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2006年10月30日のコラム
(高校の必須科目履修漏れの被害者は誰)

 富山県立高岡南高校に発した必須科目履修漏れ問題は、 やっと文部科学相が責任を認める発言をして収拾の方向となった。 しかし、本当にそれでよいのだろうか。現時点で既に手遅れではないか

 以下、今回の問題点を分析する。
 カリキュラムは、学校の責任で合法且つ効果的に組む必要がある。 今回の様に学習指導要領が守れないカリキュラムを組むことは、 いわば学校の違法行為であり、そこから派生する損害に賠償責任が生ずる。 難しい説明を省くと、とどのつまり、損害は、そもそも文部科学相の責任で 国がその責を負う。敢えて今更発言するのではなく、粛々とその責を 負うべきである。

 一方、被害はあるのか。
 受験を控えた生徒に、「必須科目が漏れていたので卒業できないかも しれない」と言えば動揺は少なからずある。 これが受験に影響しないはずが無い。
 ここで難しい問題がある。動揺が受験に影響を与え、受験に失敗した生徒が いたとしよう。その損害は、憲法が認める教育を受ける権利の侵害であり、 また、教育の結果から派生する経済状況、即ち生涯収入にも 損害を発生させる。ところが、これらの損害は、証明できない損害である。 誰かが、今回の問題に影響され、受験に失敗したと言っても、誰が その因果関係を証明できようか。論理的に無理な問題である。 結論からいうと、具体的な責任を負う必要が無いから、文部科学相は 責任を認めた。ここで、賠償責任を負うなら、その様な発言は出なかった。」 である。
 なぜそう言えるかというと簡単である。
 本当に責任を負うつもりがあるなら、生徒が動揺を受けたのは確かなのだから 今年のみ希望の学校に自由に入れるとか、内申や受験テストの成績に嵩上げするとか 一律な処置もできるはず。そう言ったことになぜ言及しないのか。 もともと責任を負うつもりでなく、収拾を図る目的の発言であるからである。

 この問題は、もう一つの側面を持つ。
 今回の問題は、今年だけの問題であろうか。 今年突然発生するはずが無い。いままで、少しずつ実施され、段々と 大きくなってきたはずだ。それは、何を意味するかというと、 今年の卒業を問題にするなら昨年、一昨年、その前、遡る必要があるはず。 その点に触れずに、今年の生徒に負担を強いるのは、行政の大きな瑕疵である。 昨年、問題なく卒業させた事実があるなら、今年問題にせず、 改善のみを実施すればよい。そうでなければ、昨年までの卒業生も問題とし、 卒業取り消しなどの対策が必要となる。そういったことが必要とは思わないが、 そうしないなら、今年の生徒の処遇を問題視すべきではない。 そこを問題視したことは、違法とも言うべき行政の判断ミスである。

 私の息子が大学受験を控えた年の10月に、警察の手続きミスで交通違反の 呼出し状が届いた。一見して、手続きミスが分かったが、息子の 大学受験えの影響心配して、私は、その日の内に警察に電話した。 結局、手続きミスを認め、息子の処分はなく、大学受験も滞りなく 合格できた。
 一方、今回の問題に対し、文部科学相は、5日も経ってから「生徒に過剰な負担や 不安を与えないよう、今週中に私の責任で措置する」と言っている。 内容は兎も角も行動するのに10日以上も要すると。既に手遅れである。影響が無いわけがない。 全く無責任と言わざるを得ない。 自分の子供が受験機会を奪われようとしている時と同じ対応が できないなら、国を代表する大臣としての資格を認めるわけにはいかない

 今、ここでこういうことを言っても、今回の必須科目履修漏れの問題は解決しないだろう。 私は、このフォーラムで公権力の不作為の責任を少しずつ公にしていきたいと 思っている。今回の問題も、総理大臣、文部科学相、都道府県知事、教育委員会、 学校の不作為の問題を明確にすることにより、その第一歩とすべく説明しました。 マスコミももっと賢くなって欲しいものである。

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