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2007年までのブログ

2008年にブログとして掲載を開始
その前に独り言として掲載していた内容をまとめました

次は

2007年2月12日(月) 【成人の日】

随分と久しぶりに重たい病気をしました。

2月8日の朝5:30頃、胸の苦しさで目を覚ます。 いつもは6:30には起きているのでそれほどは早くない。でも、その日はいつもと違う。 胸の苦しさを癒そうと、いつものアルカリイオン水を500ml飲もうと 250mlほど飲んだところで、嘔吐感。 急いでトイレに。夕食の内容の他、1リットル程の水分。 昨夜の寝酒まで、全て出てくるではないか。

出すものを出して一段落。ソファーにゆっくりしても体のダルさは癒えない。 会社の始業時間前に 少々遅れるとの電話を入れようと考えて休養していた。 「10時頃になる」を伝えるべく、電話口に歩き始めると、 なんと足が進まない。 思わず「午前中、休養させてください」と言ってしまった。

でも、昼頃になっても一向に治まらない。 嘔吐まではしないが、水様下痢と嘔吐感。体がだるい、 胸が苦しい。 結局、3つの仕事が待っていたが、会社を休んでしまった。

次の日は、前々から準備していた、休暇をとっての楽しみのゴルフの日でした。 私にとっては、昨年に地獄の職場から離れて、8年ぶりにやっとできるゴルフの予定でした。 でも、流石に 前日夕方になっても一向に改善しない。だるい、胸が苦しい、下痢が酷い。 仕方なく、ゴルフもキャンセル。結局、4日間、床に伏せたままでした。

次の日、病院にいく。これは、儀式である。 こういう症状に対し、医者は、 的確な判断ができないのである。 医者の診断は、食中毒か流感性の胃腸炎とのこと。 嘔吐を抑える頓服薬と乳酸菌を利用した整腸剤の処方のみでした。

なぜ、医者が判断できないかというと、例えば、今話題のノロウィルスとしても、又は 食中毒だとしても、1週間ほど掛けて胃腸の内容物を分析して、その分の費用も掛けないと分からない。 ノロウィルス以外の流感性であっても同じ。結局、医者は、マニュアル通りの処方で終わり。

なぜ、病院に行ったか。それは、会社に対し、病気である証拠を確保するためです。 道理ではおかしいとは思いますが、この世の中の仕組みです。

今回の病気の4日間で5kg体重が減りました。流動食しか入らないので仕方がありません。 4日目には、何とか味のあるものが口に入るようになったので、 取って置きの 植物酵素「健美」を飲みました。みるみる元気が戻ってきました。 まだ、作成できていませんが このホームページの「 からだの健康/地球の健康」のページで 紹介する予定の健康食品です。 私自身、血圧が上で約20mmHg、下で約15mmHg減らすことができた優れものです。

もう一つ。 8年ぶりのゴルフの準備で2/4まで2回の打ちっぱなしに行っていて、 腰がやばいかなと思っている矢先の寝込み。4日間の寝込めば充分に腰に来ます。 歩けない。 ここで、やはり取っておきの「プチシルマ」。腰に張って一昼夜。 もう元気です。 今度、ゴルフの練習する時は、先に張っておこう。

冒頭に「久しぶり重たい」と書きましたが、 私は、風邪、咳、腹痛と結構体が弱いと自負(?)が ありましたが、1年前にとあるアルカリイオン生成器、 正式には「整水器」というものに出会い、 今では、毎朝500mlを飲み、一日1〜1.8lを飲んでいました。 ここ1年間は、「軽い病気」もしない 健康な日々を送っていました。 今回は、そういう意味で非常に残念です。 しかし、食中毒か ウィルスだったら、仕方が無いのかもしれませんね。 「からだの健康/地球の健康」のページをご期待下さい。


2007年2月11日(日)

お知らせします。いい知らせではありません。私の母が他界しました。

1月15日、田舎に暮らしていた母が他界しました。 こういうホームページを開いていてどういうことをお知らせしたらよいか、 せねばならないか、悩みました。 必要なところには、お知らせをし、葬儀まで厳かに終えることができました。 母は、世界で一番私の理解者だったし、私も一番母の理解者だったと自負しています。 もうすぐ1ヵ月が経ちますが、やっぱり、私の心にぽっかりとあなが空いています。

でも、母が思いを残さず、天国に行ったことを信じています。母は、敬虔なクリスチャンでした。 母は、大好きな温泉に入っている間に苦しまずに、静かに逝ったとのこと。 苦しんだ様子が 全く無かったと、介助してくださった方の話です。

主人(私の父)のこと、息子、娘、孫たちのこと。煩わしい思いは、天から見届けてくれれています。†

2006年11月7日(火)

ホームページの更新ができません。

今週末に国家試験を受けます。 その準備でばたばたしていて、 今日思い立って独り言に書き込みましたが、来週までは、 更新はできないと思います。

このホームページのyahoo検索で登録が取り消されたみたい。 更新が疎かだったからだろうか。試験が終わったら、頑張ります。

2006年10月4日(水)

最近、夜6時を過ぎると真っ暗になりました。 その時間に、会社の帰り道で、 非常に危惧することを見かけました。

通勤で歩いている部分の話です。ちょっと長いバス道路を下って、 バス通り同士の交差点があります。 一昨日、交差点の手前でふっと 左を見ると、仮面ライダーが通り抜けている。 いや、電灯を付けていない自転車が颯爽と下っている。 あれやあれやと見ていると、信号が黄色になった後、そのまま 突っ込んでいるではないか。 いやはや、ヒヤッとする一瞬だ。 なんとか無事に通り抜けた。

今日、同じ道を歩いていると、今度は、ヘッドライトを点けていないバイクが 下り坂よろしく50km/h程度の速度で下っている。 流石に、交差点の手前で ブレーキランプが点灯してしたが、ヘッドランプは点いていない。

皆さんは、どう思われますか。当然、「危ない」と思われるでしょう。 そうです、危ないです。私は、さらに、凄く迷惑と考えます。

仮に、タイミングがずれて、交差点の左側から自動車が出てきて 衝突したらどうなるでしょうか。 多分、自転車やバイクは、転倒の上、 怪我をするでしょう。 通常どうなるかというと、自動車の運転手が 加害者として事故処理され、自動車の運転手に大きな負担を強いられます。

はじめから聞いている方は、不当だとすぐ気付くでしょう。 しかし、 自動車の運転手側は、自転車のそういう状況を知らずにオロオロするもの。 自転車やバイクの非は表面化せず、加害者は汚名を着せられるでしょう。

とっても腹立たしい状況です。自転車、バイクの本人は、全く悪意はないかも知れません。 でも、これは未必の故意といわれる行為です。ただ立証するのが困難なだけです。

皆さん、周りの方がこういうことをしていたら、本人の為に注意をしましょう。 また、自分がそういう被害にあった時は、状況をよく見極め、 加害者でなく、被害者になりましょう。

そしてなにより、そういう被害にあわないように、なおさらの注意をしましょう。

2006年9月29日(金)

9月28日のニュースで飲酒運転の民事裁判で千葉地裁の判決を見ましたか。 42歳の男性が、飲酒運転事故の被害で寝たきりとなり、損害賠償請求裁判で 約3億円の損害賠償を命じる判決が出たとのこと。

まだ書いていませんが、私の父の事故では、同様に寝たきりとなりましたが、 損害賠償の額は、約3千万円。その差は、何でしょうか。

勿論、年齢の差は有ります。片や残存余命が41年に対して、こちらは約10数年。 でも違いはそんなところにはありません。 千葉の件は、相手が飲酒運転であることから 警察や検察も協力的で情報が豊富に貰えた。 一方、父のケースでは、 まだ、違法運転事故の処理に対する、警察や検察の対応が甘かったこと。 それから、これは、主観ですが、地方の警察や検察は、まだ、そういったことに消極的なこと。 さらに、被害者の努力と取れる時間の問題もあったと思います。

ただ、この事だけははっきりしています。 寝たきりの被害事故の場合、 自賠責で3000万円の保証が出ます。 一般の人から見ると、一時金としては 3000万円は充分な金額に見えます。 しかし、実際に寝たきりの被害者を抱えて 10年も暮らすと、充分でないことが良く分かります。

加害者は、3000万円も貰うのだから充分だというでしょう。 被害者は、そういう言葉に載せられてはいけません。 寝たきりの被害者看護は途轍もなく大変です。 是非、被害に合われた方は、この千葉県の訴訟を勉強されてから 対応されることをお勧めします。

私の反省です。

2006年9月24日(日)

世の中には、一方的に小言を言われる、押し付けられる、命じられるということが多々あります。 例えば、善意で初老の婦人に席を譲って、「私は、老人でありません」と言われる。 不愉快千万極まります。 そういうことに一言をいいたいときがあります。 そういう場として、独り言の掲示板を設けました。 稜山の勝手と言われるかもしれませんが、ここは私の領地。 勝手な事を言わせて頂きます。

2017年1月2日(月)追記

正月休みを使ってブログの構成を変更しました。 一番古い独り言が見難かったので、1ページに纏めました。 1ページづつ作るやり方で、とっても面倒だったのですが。 文章も今よりさらに未熟な感じ。 少々恥ずかしいのですが、新しい記事ではないので、そのまま掲載します。 文章は、作成時のままです。





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