2008年 4月 ブログトップ
4月30日
 いよいよ、世の中ゴールデンウィークの後半突入か。
 まずは、近くの花情報をお知らせ致します。森の里5丁目の北西部にあるふじだな公園。 その名前の由来の藤棚で藤の花が満開近しと咲き誇っています。 逆に南東部の上古沢緑地においては、ツツジがやはり満開近し。 一部では満開なのだが、全体としては、蕾から満開までが入り混じっている状況。
 先日、雷でディスククラッシュが見つかったと話をした。 数日前に、別のバックアップマシーンの300GBのバックアップ用のディクスが壊れてしまった。 急遽、前から準備していたサーバマシーンによるRAID構成のファイルサーバを立ち上げた。 まだ、稼動実績はこれからですが、当家もIDCセンタぽくなってきました。<^o^>
 4月23日に愛犬セリオスの脱毛が回復しているとの報告をしました。 さらに一週間でまた飛躍的に回復しました。実質、地肌がでていたところが無くなったといった具合です。 急遽、追加情報を掲載しましたので、是非、ご覧下さい。

4月23日
 本日、愛犬セリオスの脱毛(禿げ)の改善報告を掲載しました。 是非、ご一読頂ければと思います。
 この報告に、「からだの健康/地球の健康」のコーナーが未作成と説明しました。 実は、このコーナーが一番大切なコーナーなのですが、なかなか進んでいません。 というのは、例えば、今、政府が悩んでいる問題の一つに国民健康保険があります。 年々と増えている負担に苦慮しています。 一方で、どこかが痛いと思ったら病院に掛かるという風潮も以前と蔓延しています。 この事は、実は国家としても国家財政の一番の悩みの種と考えているのですが、具体的に対策を講じることができないので後手に回っています。
 「からだの健康/地球の健康」のコーナーの「からだの健康」の部分は、そういう問題に対し、解決策を広報することにあります。 からだの問題は、住環境、食生活に大きく関わっていて、病院でできることは僅かに限られています。 そういうことをもっと国民に知らしめる必要があるということです。
 最近、国も気付いて何らかの対応が必要と考えているようですが、未だ何をしようとしているか分かりません。 そういうことを議論したいと思っています。ご期待下さい。

4月17日
 www.asahi.comによると、本日、内閣の福田総理は、『子どもが携帯電話を持つことについて「ろくなことがない。」』と表明した。 私の父親は、私が小学生の頃、当時は珍しい子供向けの腕時計を私たちに持たせてくれました。 子どもの頃から、時間管理を意識することを期待していると言われた事を覚えている。
 子供の自主性を育てることを忘れて、子供の保護のみに着目し過ぎてはいないだろうか。 そういう過保護が我侭で身勝手な大人を作っているのではないかと危惧する。 一国の首相がこういうことを言ったらもうこの世の終わり。さぶっ。

4月16日
 凄い発見をしました。愛犬が加齢の為に胸やお尻が禿ていましたが、な何と毛が生えてきました。 勿論、何もしていないわけではありません。愛犬用の健康食品を約1ヶ月与えたのです。 私の知識では、加齢から来る禿の回復は困難と思っていました。 この感動、是非皆さんにもご紹介したい。
 ひょっとしてと思い、1ヶ月前に取った写真と比べることができました。 紹介ページを作成したら、また報告します。

4月15日
 3月の内に七沢自然公園でヤマビルが出ていることは報告しました。 巡礼峠付近で見かけたので報告しましたが、5丁目の自治会館周りでも見つかりました。 今日、雨の後なので、何時もふじだな公園に行く平日朝の愛犬との散歩を住宅周りに切替えました。 愛犬の散歩を考えるとヤマビルは杞憂の種です。
 4月初めに厚木市は桜の満開を迎えたと思います。 残念ながら、見ることはできませんでしたが、丁度同時期に長崎の名所で見ることができました。 大村公園は、長崎では有名です。大村公園は撮影できませんでしたが、西海橋で撮影しました。 後日、ご報告致します。
 本日夕方、森の里の中で、マラソンの練習でしょうか。ランニング姿で車道を走っている方がいました。 場所は、4丁目、5丁目、上古沢緑地が接する三叉路から西高に向かって降りていく道路です。 暗くなってからの車道ランニングは、車からの視界が不十分です。 事故が起こると、その責任は車の運転手が負います。 無責任な行動と感じました。是非、考え直してください。 その場所なら、歩道で充分走れると思います。

4月12日
 私の父 喜八郎は、3月30日午後1時50分に心不全で他界しました。 遡りますが、父は、2000年5月にバイク運転中に後から迫ってきたタクシーに跳ね飛ばされて生死を彷徨う事故被害を受けました。 一命は取り留めましたが、脳内出血や脳震盪の後遺症、眼球異常に伴う視力低下、その他持病の悪化と酷い目に遭いました。 初めは、加害者への憤りと、自由が利かない不満から、家族にも辛く当たる状況が長く続きました。 しかし、段々とからだも精神も衰えて、4年ほど前から、完全介護の病院に入院し、殆ど寝たきりで過ごす様になりました。
 これまでも一進一退はあったのですが、3月29日の夜から、血圧低下などの症状が出てきました。 30日の朝からは、心拍停止が出るようになり、昼ごろには心肺蘇生をはじめました。 結局、回復の見込みが無く、1時50分に心肺停止となりました。 3月31日夜に通夜、4月1日昼から告別式を行い、多くの参列者に見送られて天国に旅立ちました。
 冒頭に心不全と記載しましたが、死亡診断書には「癒着性腸閉塞」と記載されています。 私自身は立ち会っていませんが、私の姉の話から、あまり苦しまずにゆっくりと心臓が停止していく様を思い浮かべました。 きっと、神様が、「もう良い、ゆっくりと休んで、私のところにいらっしゃい」といってくれたのだと思います。
 湿っぽい話はここまでにします。事故のことは、また、別のコーナに記載します。 母と父の他界を経て経験したこともどこかに記載したいと思います。
今日はここまで。

4月10日
 3月の末に父が亡くなりました。此処でご報告したいと思います。 まだ、戻ったばかりですので、少し落ち着いてから。