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2018年6月

6月30日(土)

6月の最終日となりました。月初めにも書きましたが、今年の上半期、今年度の第一四半期が終わります。 そして、長崎に帰郷して1ヶ月が過ぎようとしています。 求職活動とか、プライベートな部分は割愛いたします。 ちょっとだけ総括しようかな。

必要に迫られて、2年間の準備期間を以て帰郷の最終準備と帰郷に追われた四半期でした。 まあ、その一言で殆ど全てかもしれません。

転居準備では、多分大型トラックの1台分に相当する物を処分しました。 です、不要物では有りません。記念のもの、活用を考えて入手したもの。 活用しているものでも、移動に困るので処分するもの。 勿論、その一部はオークションで少しのお金に替えました。 そして、一部は最後の追い込みで業者の方に頼みました。 その準備と実行で過ぎた2ヶ月でした。あっと言う間でした。

佐世保に来てからの1ヶ月間は、まずは物の整理。 持ってきたものを、すぐ使う必要があるものと暫くは箱の中に入れておくものに分ける所から開始。 そして、生活のリズムを作るのです。 また、転居に関する細かい手続き。それに、失業期間のいろいろな手続。 結構ハードな1ヶ月間だったと思います。

そして、佐世保に来ても、実家の家の片付けをやっていると説明しています。 家内の実家なので、家内が中心に作業しています。 そして、6月の内にクリーンセンターに持って行った廃棄物の物量も凄い

佐世保では、燃えるゴミ、燃えないゴミも有料処分です。 そして、クリーンセンターに持ち込む場合は、粗大ごみを含めて、10kg90円で受け入れてくれます。 50kgまでは基本料として、450円なので、1回は50kg以上となる様に調整しました。

6月に持っていった廃棄物の総量は、500kgでした。 8回持ち込んだのですが、計量は10kg単位で端数切り捨て。 つまり推定で実質540kgになります。 厚木での大型トラックには及びませんが。 何か、同じようなことが続いていると思いませんか。

そう言いながら、いろいろと報告していることから分かると思います。 久し振りに再会した家族を連れて、多数の観光地を訪れました。 足がなくて、行きたくても行けなかった家族。 そして、佐世保に始めて暮らす私。ある意味必然性はあったかもしれません。

一方で、佐世保の凄いところが見えてきました。 佐世保市内の烏帽子岳、弓張岳、九十九島もそうです。 平戸の生月島、佐賀県ですが、比較的近くに有る黒髭山。 どれも、今まで暮らしてきた京都、神奈川には無い風景なのですが。 実は、それだけではないのです。

自宅付近を歩いても、これらに匹敵するような風景が並んでいます。 要するに、急峻な山々があまりにも沢山有るのです。 そして、その多くは雄大な大きさを持っています。 また、相浦富士という愛称を持つ愛宕山が近くにあります。 この山を富士山と呼ぶなら、佐世保中心部の周りだけで、3つの富士山を見つけました。

まだ、実現していませんが、そういう事を実感しながら、近場も観光したいと思っています。 何をしているのかとお叱りを受けそうですが、ワクワクしているのも確かです。

昼食に外食を摂る目的で出発しました。 元々の目的地は、鹿子前の九十九島パールリゾートでした。 ここのスパゲッティが美味しいとか。 その前に最近話題にしていた相浦港に有るもったいない食堂も覗いてみたいという話になりました。

このもったいない食堂は、佐世保市地方卸売市場の中にあります。 元々は、漁師や職員のまかない食堂だった様です。 漁師に合わせて、早朝から営業しています。 昼食時が終わると閉店ですので、その性質が分かるというものです。

もったいない食堂は、館内に入って3階に登って、さらに200m程歩く必要があります。 もうお分かりでしょう。これだけ歩いて訪問したのです。 昼食は、ここで摂ることになりました。

もったいない食堂 説明した通りに建物の3階にあるのですが、丁度、相浦漁港に面したテーブルで食べることが出来ます。 相浦漁港も九十九島の中にあります。だから、ご覧の通り。 綺麗な風景を一緒に楽しむことが出来ます。

さて、料理は、流石に魚市場の食堂。生きが良い魚料理です。 メニューは、数量限定の刺身定食と合わせて4種類。 家内は、おすすめの日替わり定食にしました。 私は、色々食べてみたいとサワラと青イワシの塩焼き定食にしました。 美味しそうな料理だと思いませんか。

暫く待っていると私の料理には、さば定食が出てきました。 エッ。店員が「さらわ定食」と復唱した事は鮮明に覚えていました。 しかし、何となく分からないこともない。 「さわ・」と「さ・」、どちらも韻が似ている。 サバ定食は食べ慣れていますが、嫌いでもないのでそのまま頂きました。 今後のために、指摘してから頂いたのですが、店員の方が相当に気にされていました。 帰るまでペコペコしていました。

さて、食レポします。 さばは、鯖でいつもの美味しい鯖でした。(レポートにならない!) メインの鯖の他、3切れ程の刺し身。少な目の焼肉。山芋とろろが入った酢の物。 きんぴらに漬物と味噌汁。ご飯は、選んで玄米ごはんを頂きました。

魚市場のこういう食堂で、肉料理にはびっくりでしたが、その多彩さには驚きを覚えます。 そして、評判通りに魚だけでなく、野菜についても新鮮さを感じる、とっても美味しい料理でした。 実際の写真は、Facebookに掲載してあります。 よろしければ、ご覧ください。

もう一つ、報告があります。 世保市地方卸売市場に入った所に、深さ5m程度の水槽が設置されています。 よく水族館で見るような巨大水槽です。 頂いた鯖や鯵、鰯など、近海で取れる魚が泳いでいます。 タダで見れる水族館と考えれば、とってもお得です。 お子様がいる家庭は、是非訪れてみて下さい。 私も、孫が来たら、必ず連れて行きます。

世保市地方卸売市場がある港に向かう途中、高台の上に教会がありました。 カトリック相浦教会です。 さぞ、眺めが良いだろうと上がってみました。

流石に急峻な高台の上です。25°程度の急峻な坂を50m程度登り上がります。 白く大きな礼拝堂も素晴らしかったのですが。 そこから見晴らす、相浦港(九十九島)も素晴らしかったです。 そして、雪が積もったら大変だなと無用な心配もしました。

そのあとは、元々の目的地である九十九島パールリゾートです。 6月9日の記事にも書きましたが、パールクイーン号に乗れる場所です。 ここには、九十九島を眺めるCOSTA九十九島というレストランがあります。 残念ながら、次回のお楽しみですが。ヒザ、パスタ、リゾットが楽しめます。

COSTA九十九島の裏手には、大きな水族館があります。 九十九島湾大水族館といいます。 イルカショーが見れるそうです。 COSTA九十九島の前を海岸に沿って暫く歩くと、登り階段がありました。 九十九島うみかぜ広場に続くと書いてありました。 ちょっとだけと思って登ってみました。

すると、イルカショーのアナウンスが直ぐ近くに聞こえます。 そして、よく見るとイルカプールが見えています。 勿論、タダで見れるという程には見えないのですが。 少なくても、イルカの姿を見ることが出来ました。

記録として写真を撮ろうとしたのですが、何と、撮影の瞬間にバッテリー切れ。 直前に撮ったイルカが写っていない写真がその記念となりました。

そして、COSTA九十九島の前の岸壁は、大型船が接岸する様な雰囲気の港です。 パールクイーン号の発着場とは異なった雰囲気が楽しめます。 この九十九島パールリゾートの駐車場は、30分間無料です。 まずは、下見にと寄ってみるのも良いと思います。

6月29日(金)

一昨日からの時折強い雨は、連続した強い雨と変わっていました。 外出していた家内から、近くを流れる相浦川の水位が高いと連絡がありました。

早々に佐世保市役所のサイトを開いてみました。 開いてサッと見た感じでは、緊急事態は出ていないと感じました。 よく見ると、「災害警戒本部を設置しました」という文字を見つけました。 しかし、そこをクリックしてもそれ以上の事が分かりません。

何かが起きたので本部を設置したのか、それとも今は気にする必要は無いのか。 肝心なそういうお知らせが書いて無いでのです。 まあ、いずれにしても、避難勧告は出ていないということで安心する事にした次第でした。

6月28日(木)

昨日から、時々強い雨が降っています。 短時間には、集中豪雨と言えるほどの雨でした。 ただ、長くは続かいなので、災害の心配は無いと安心していました。

先日も、パソコンの日本語変換ソフトであるIMEの動作不良で困っているという報告をしました。 やっと思い立って、入れ替えることにしました。 今までの調査でIMEの代わりは評判からgoogle日本語が良さそうでした。 暫くは出てくると思うので、簡単の為にG日本語と略します。 ソフトのインストールは、専門家とも言えるので、殆ど時間も関わらず完了。 早々に使用してみました。

まずは、試しに毎日の記録ファイルを編集してみました。 使用感は殆ど確認しない内に不具合が出てきました。 再変換が出来ません。 つまり、漢字変換したあと、間違いに気付いてその部分を選択して再変換しようとしても再変換が出来ません。 G日本語の設定に、再変換の設定はあるのに効かないという症状です。

ネットで検索すると、まもなくその理由が分かりました。 私は、文章の編集は、マイクロソフトのnotepadを使っていません。 かなり前から、TeraPadというソフトを使用していました。 G日本語が使っている技術との整合で再変換が出来ないというのです。 仕方がありません。 TeraPadも特段使い勝手が良いわけではありません。 編集ソフトも入れ替えることにしました。

以前から、時々調査はしていたのですが、中々良いものは見つかりません。 現時点で調べると、サクラエディタというソフトが人気となっていました。 こちらも簡単なので、早々にインストール。 とりあえず、両方を合わせて、テキストの編集はできるようになりました。

使い始めるとなかなか難しい。 まず、私は、ローマ字変換は使っていません。 かなをそのまま打ち込むかな変換です。 操作し始めに最初からかな変換で動作する設定が必要です。 この手の設定は、相当に沢山有ります。 例えば、多くのローマ字変換の人が使っている、スペースバーで変換という動作。 世の中でローマ字変換で回っているいるので仕方がないかもしれません。 私には、邪魔で仕方がありません。設定で無効化します。 その他、サクラエディタ特有の余計な機能などもあり、いろいろと調整が必要でした。 勿論、良い部分も沢山ありましたが。

まだまだチューニングが必要かと思いますが。 やっとIMEから開放されました。 また、感想など、報告いたします。

夕方、雨も止んだようなので、少し歩いてみることにしました。 少し歩くと、大野地区の繁華なところがあります。 そろそろ床屋も行かないといけないので、適当な床屋を探さないといけません。 車で何度も通っているのですが、車ではどういうお店があるかなど分かり難いのです。

歩いてみて驚きは、異様に病院と床屋が多い。 病院が多いので、当然の様に調剤薬局も多い。 病院の多さは、高齢化が進んでいることの証拠でしょうか。 床屋に関しては、どこも散発料を表示していません。

神奈川では、QBハウスというスピーディーで安い床屋をいつも使っていました。 1回10分間で、なんと1,080円で刈ってくれるお店でした。 ヘアのセッティングや微調整は自分でするので、十分と思っていました。 ところが、長崎には1軒も有りません。 今更、3,000円の散発はしたくないなと。

一番離れた場所を過ぎた辺りで見つけました。 980円です。QBハウスより安い。 さらに、平日の昼間だったら、690円です。 今までの経験からすると破格値です。

今日は、既に安い時間帯が終わっていたので、後日にしました。 そして、お陰様で1万歩を超えていました。

6月27日(水)

佐世保に移り住んで、いろいろと思うことがあります。 今日は、話題もない中、月末が近づいたので、少しだけ報告したいと思います。

私自身は、長崎市近辺の出身で、例えば、市内の殆どのバス道路で左車線がバス優先道路ということは知っています。 その理由は、比較的狭い道が多い中、交通量が多いからです。 長崎市の場合は、さらに路面電車が走っているので、なかなか難しくなります。 佐世保では、そういうことは無いと思っていました。 しかし、実際に住んでみるといろいろな事が分かってきました。

私が大野地区に住んでいると報告しました。 瀬戸越交差点は、佐世保市街地、平戸、国見峠などを超えて伊万里や有田に行く、3つの大きな道の交差点です。 その国見峠に向かう道の込んでいることに着目です。 途中に松浦鉄道の踏切があることも一つの要因かもしれません。 慢性的な渋滞が起きています。

この渋滞が問題ではないのです。平行して小さな道があります。 その道を走ってみるとよく分かります。 渋滞を迂回して走る車の多いこと。 特に、電柱がある小さな道なので、対向車を避ける停止が多いこと。 この裏道は、佐世保市街地に向かう、田原町という場所まで続きます。

県外から転入すると異様な風景です。 ただ、その礼儀正しさはちょっと特筆すべきかもしれません。 寄り方を見ていると、そんなに巧妙では無いのですが。 ちゃんと、待つことを覚えている方が多いのです。 当たり前の事なのですが。 当たり前の事が出来ない、現代はそういう事が多いものだと思っています。

4年前、佐世保に帰省して、電気店の品揃えが無いと嘆いていました。 帰郷すると何かと日曜大工の用品や部品が必要となります。 そこでホームセンターを探すのですが、近くにありませんでした。

電気店の状況と同じで、佐世保の一番繁華なアーケードでは、古いお店しか有りません。 電気店やホームセンターなどの大型店舗は、殆どが大塔という地域に集中しています。 繁華街から7km程南、自宅からだと13km程離れています。 よく探すと、そこまでは行く必要は有りません。

しかし、一番近い干尽のナフコは、混んだ道を通って7km。 相浦のユートク日野のOKホームも9km程度。 まあ、恵まれている厚木と比べるといけないのでしょうが。 なんとも不便です。車があるからなんとかなるのですが。

一方でスーパーマーケットの類は充実しています。 特に、スーパーマーケットエレナというスーパーです。 何処を向いてもエレナという感じです。 調べると長崎県に45店舗、佐賀の4店舗を合わせると49店舗です。 マックスバリューなどもあるのですが、本当に不便しません。

もう一つ感じるのが、ディスカウントショップダイレックスです。 スーパーマーケットに近い機能と電気店、薬局などの機能を持っています。 日用品も揃えていて、ホームセンターに近い機能も持っているのですが。 残念ながら、網戸程度のものまでしか揃っていません。

佐世保では、自宅の近くにあり、平戸に行った時、大塔に行った時にも目に付きました。 勿論、長崎に行った時も。 調べると九州を中心に、四国地方、中国地方にも展開。 少数の関西、甲信、北陸、関東を合わせると243店舗となっています。 ボリュームで勝負しているのでしょうか。 因みに、佐世保市は3店舗、長崎県では22店舗でした。

話は少し変わりますが、大好きな餡子も、ダイレックスで購入しています。 厚木で買っていた業務スーパーは、長崎に無いと嘆いていました。 しかし、業務スーパーのものは、中国産の餡子でした。 このダイレックスでは、北海道産の餡子が同程度の価格で購入できるのです。 美味しさもですが、第一に安心が買えています。

段々取り留めも無くなってきたので、今日は、この辺りで・・・

6月26日(火)

私はコーヒーが好きです。 美味しいコーヒーはブラックも良いのですが。 普通のインスタントの場合、砂糖とクリームを入れます。 今日は、そのクリームの話です。

粉クリームでは、クリープが有名です。 私の場合は、乳脂肪を嫌うので避けていました。 そういうことで、ここ10年以上は、 AGFのマリームを使用していました。 随分前に瓶入りのマリームを2瓶購入。 詰替え用を買って、2つの容器を順に使うという使い方です。 今回の帰郷で使っていた瓶は捨てました。 だから、瓶入りを購入しようとしていました。

近くにこの様な商品を取り扱っているスーパーは6店舗あります。 しかし、どこに行っても詰替え用は売っているのに、瓶入りは置いていません。 始めは、長崎のこの地域は変な地域なのかと思った次第でした。 味の素のサイトで調べてみると、やっぱり瓶入りの商品はラインアップされていない様子。 そこで、問い合わせしてみたら、回答が来ました。

回答では、瓶入りは需要が無くなったので、製造していないというのです。 でも、回答の中で、一番驚きだったのが、詰替え用の容器は保存世が高い容器だといいます。 だから、口を折り曲げて使って下さいと説明していました。 どんなにそう説明されても、そういう使い方はしたくありません。 もし、そう言うならシーリング位付けて欲しいです。

もう一つの質問は、もし瓶入りが無いならば保存容器はどうすれば良いか教えて下さいという内容でした。 回答は、市販のものを別途購入して下さいとの回答。 因みに、100円ショップは、その手の商品ラインアップは結構揃っています。 しかし、探してみましたが、丁度良いものは見つかりませんでした。

私の様に、止む無く容器を捨てることがあります。 その場合は、保存用の容器として専用のものを提供して頂きたいと思います。 そういうラインアップをして、始めてメーカーとして成り立つのではないでしょうか。

今日の夕方、詰替え用を買おうとしたのですが。 家族の勧めでクリープの瓶詰めを買ってきました。 森永乳業の粉クリームです。

6月24日(日)

佐世保の観光を報告していますが、今日は、お隣の佐賀県に行くことになりました。 有田町の北側にある黒髪山です。

黒髪山の雄々しい姿 例のごとく、写真が続くので、はじめから写真を掲載します。 右の写真は、一番近い乳待坊展望台からの眺めです。 左側が黒髪山の山頂、真ん中の尖った岩山は、左側が雌岳、右側が雄岳です。 近くからの撮影なので手前が高く見えますが、山頂が山頂です(笑)。

佐世保からだと、山道を通って有田町を目指すと、そんなに遠くはありません。 実際に通ってみて、武雄から佐世保に向かう西九州自動車道の三川内ICに差し掛かった時に閃きがありました。 神奈川から佐世保に向かう時は、この三川内ICで降りて、山越えした方が近い。 何度も来ていたけど、まったく気付かなかった。 そして、もう使うことはないだろう。手遅れということでした。

三川内IC付近から三代橋というところを通って、有田町を抜けて黒髪山の東側に抜けます。 そこから、山に登って行くルートなのですが。 三代橋から有田町を過ぎるところまでは、バイパスが出来ていました。 しかし、カーナビを使うとパイパスではなく、旧道が案内されました。 お蔭で、有田町の町並みが見れただけでなく、後ほど紹介する大銀杏を知ることが出来ました。

黒髪山の遠景 山を登り始めて、終点となる部分が乳待坊展望台です。 黒髪山は、有田町の北側に大きく広がる山々の一部なのですが。 その中で東側に寄っている所に有り、ここが一番の見栄えがする場所です。 登り始める前になだらかで長閑な場所があります。 左の写真は、黒髪山から少し離れたところから撮った写真です。

このなだらかな場所には、窯元が有り、焼き物に興味を持つ家内の案内で見学しました。 私の母方の祖父の渕上 巍が、一時期伊万里で焼き物をやっていました。 私自身は、詳しくはないのですが、懐かしい思いで見させていただきました。

黒髪山の山頂アップ 乳待坊展望台の案内には、登り始めの場所から別の方向への登山ルートが有ると書いてありました。 カーナビでもルートを示しているので、登ってみることにしました。 相当な山道でした。結局、すれ違う車は1台もありませんでした。 その終点に近いところで、黒髪山の頂上の出っ張りを近々と眺めることが出来ました。 上の写真からすると、裏側の眺めです。

有田の大公孫樹 帰りは、行く時に見かけた有田の大イチョウを見ることにしました。 正式には、有田の大公孫樹と書くらしいです。 推定樹齢は、伝承で1,000年。樹高は40m、幹の周りは11.6mと書いてありました。 国の天然記念物の指定を受けているそうです。 弁財天のイチョウの表記もありましたが。 天然記念物指定の名称は、有田の大イチョウだそうです。

有田の大イチョウの麓 その太さが実感できる写真をもう一枚載せて置きます。 この写真のイチョウの木の先にあるのは、池田家の建物です。 文政11年(1828)に有田を大火が襲った。 しかし、この池田家は、この大イチョウのお陰て焼けなくて済んだという逸話が残っています。

原理的には、こう推測します。 周りは、大火で猛烈な高温となってしまった。 しかし、大イチョウは、その大きさと葉の水分から、高温とならなかった。 そうすると、熱対流から、イチョウには涼しい下降気流が襲った。 そのせいで、イチョウの木の周りは焼けなくて済んだとか。 勝手な想像です。

話は遡りますが、黒髪山に向けて出発する前の話です。 私がカトリック教会の信徒であることは、度々、話題にしています。 神奈川から長崎に転居すると、所属する教会への変更手続きが必要です。 今まではカトリック厚木教会、長崎ではカトリック大野教会に所属することになります。

転居後の慌ただしさも一段落したので、今日のミサを与った後、手続きをして来ました。 私自身は、元々、長崎市のカトリック西町教会の出身です。 元々長崎の信者との思いはありました。 しかし、しきたりの違いには少し戸惑いがありました。

6月23日(土)

Google chromeを使用していて、あまりにも悍ましい出来事が起きました。 殆どセキュリティ事故です。 原因は、Chromeではなく、マイクロソフトのIMEという日本語変換ソフトだと思います。

ある事柄をgoogleで検索しようとしました。 検索ボタンを押した瞬間に、検索用語の中に、私がパスワードに使用している言葉が入っていました。 Google検索は、暗号化通信で動作しているので、パスワードそのものは暗号化されます。 しかし、パスワードの送信というモードではありません。 その結果、私の検索履歴に非公開のパスワードが載ってしまったのです。

原因というか、そうなった理由はある程度推測出来ました。 検索した言葉にそのパスワードの前半に使用している英単語が入っていたのです。 IMEが、その部分を入力する時に、過去の入力履歴から補完して、パスワードを挿入してしまったのです。 繰り返しますが、なんとおぞましいことでしょうか。

既に、IMEの誤変換、特に1回目に全く経験が無い語が出てくることに相当な嫌気が差していました。 乗り換え方法も調査済みでした。 ただ、時間が無かっただけ。 早々に時間を取って、乗り換えることにしました。 嗚呼、恐ろしい!

6月22日(金)

県民共済から住所変更の手続き書類が届きました。 県民共済といっても、届いた郵便の発信元は、全国共済といいます。 神奈川県民共済はあるのですが、県民共済とは別組織なのです。 そういうことで、神奈川県の県民共済のみが全国共済というのです。 そして、全国共済での住所変更の手続きは、昨年も実施しました。 昨年の7月8日にその手続の大変さを愚痴っています。

今回の変更は、この県民共済の組織を跨った変更なので、ちょっと面倒です。 神奈川県の全国共済から長崎県民共済に変わるのですが。 全国共済では、ネット銀行が使えなくて、都市銀行のみでした。 ところが、長崎県民共済は、都市銀行が使えなくて、地元の地方銀行かゆうちょ銀行のみ。

私は、対象となる十八銀行とゆうちょ銀行の口座は持っているのですが。 十八銀行は、弟との資金共有で作成したもので、直ぐには使えない。 ゆうちょ銀行は、先日報告した通り、氏名の関係で凍結となりました。 県民共済は、どうしてこんなに使い辛いのでしょうか。 止む無く、しばらく放置することにしました。

6月21日(木)

所要で佐世保の繁華街に出掛けました。 お昼をどこで取ろうかと考えて、偶には五番街も良いかなということになりました。 佐世保では、トイザラスなどがある大型商業施設です。 食事もいろんなものがあります。

車で五番街に入るのは初めてでした。 駐車場の入り口に「最初の1時間は無料」と書いてあります。 実際は、終日無料のところもありますが、1時間無料は画期的。 確かに大型施設なので、欲しいものがなくても1時間近くは掛かるというのでしょうか。

実際は、施設内の商店で1,000円以上の購入をすると更に1時間無料。 合計2時間が無料となります。 ゆっくりとした食事が摂れました。

大型クルーズ船 Costa Fortuna 5番街は、佐世保港の直ぐ側にあります。 港を見ていると、すごく大型のクルーズ船が入ってきました。 船体にCOSTA FORTUNAと書いてありました。 ちょっとでも雰囲気が見れると良いと思って写真を撮りました。

帰って確認すると、10万トンクラスの客船。 旅客定員は、最大3,470名というから凄い。 それにしても、このクラスの船が横付けできるとは、佐世保港も凄い。 もっとも、桟橋に着けることは出来なさそうですが。

烏帽子岳から佐世保市内を一望 勢いに乗って、烏帽子岳に登ってきました。 佐世保市は、海と烏帽子岳に挟まれた長い街という感じ。 それほど長く連なる山なのですが、その山頂までは車で登ることが出来ます。

残念ながら、今の季節で霞が掛かって鮮明ではありません。 ちょっとコントラストを上げて掲載します。 烏帽子岳の標高は、568mです。 ただ、佐世保の海岸からは、2km程度のところです。 その急峻さは分かるかと思います。

烏帽子岳の山頂には、広い駐車場があります。 実際の山頂は、そこからさらに10m程登る必要があります。 軽い運動に良いかもしれません。

山頂からは、360°の視界が広がっているのですが。 残念ながら、植物が枝を伸ばしていて、ご覧の通り。 また、空気が澄んだ時期に期待しましょう。

6月20日(水)

佐世保に来て、もうすぐ3週間となります。 住所変更手続きに相当な手間がかかりました。 数えると85件の手続きでした。 まだ、この時期に出来ないものも3件ほど残っていますが。 やっと一段落が出来ました。

6月19日(火)

このところ、住所の変更手続きに追われています。 今は、株の購入はやっていません。 しかし、今後もあり得るので、SBI証券の口座は維持しています。 ネットでその変更手続きを実施したのですが。 ちょっと腹立たしい事がありましたので、報告します。

まずは、簡単にできるかなと変更手続きに着手して見ました。 途中で証明書写真が必要と出てきたので、一旦は断念。 どういう写真が必要かの説明を見ると、こう読めました。 「マイナンバーカードと免許証と住民票のどれかが必要」 住民票だと別に何らかの追加資料が必要とは理解出来ます。 厚木に居るときは、免許証の住所が正しくなかったので使えませんでした。 そこで普通に免許証の写真を準備して手続きを再開しました。

実際に手続きをして、写真のアップロードのところにきました。 しかし、アップロードする写真の種別は、マイナンバーカードしか選べません。 もう一度、説明文を読むのですが、出来ない理由が分かりません。 ただ、保存画像としては、免許証のデータも一緒に作成していました。 だから、アップロードする画像を変えて手続きは終えることが出来ました。

その他の修正項目を見ていたら、インサイダー情報の修正も必要と思いました。 私自身は、NTTの社員ではありません。 しかし、関連子会社の社員だったので、念のためにNTTを登録していました。 もう必要ないので、削除しようとしました。 しかし、画面から出来ないので、電話で問い合わせしてみることにしました。

インサイダー情報の変更は、簡単に受け付けてくれました。 実際は、1年後の削除となるので、削除予約の受付だそうです。 そして、「他には何かありますか」と丁寧に聞かれました。 そこで、先程の分かり難さを説明してみたのです。 すると驚きの回答が来ました。 「分かるように書いてあります。」とだけ。

客が分かり難いと言っているのに、書いてありますの回答はおかしい。 何度言っても、まったく聞く耳を持たない様子。 仕方がないので「聞く耳は持たないのですね」と言って話を終わらせたのですが。 その担当は、それにも反応を示しません。その反応に違和感を覚えた私がおかしいのかな。 いずれにしても、これまで問い合わせしたどの企業と同じ様に丁寧さは変わらないのですが。 この噛み合わない会話は、まったく怒り心頭でした。

後で解析して見ました。 確かに、『マイナンバーを確認できる「個人番号記載書類」および「本人確認書類」をWEB上でアップロードする方法』と書いてありました。 個人番号が必要なので、マイナンバーカードか通知カードは必須。 つまり、写真が無いマイナンバーカードだと、写真が着いた免許証も必要になるという内容でした。

しかし、この部分には、写真のアップロード方法の記載がありません。 そこで、先に写真のアップロード方法を見てしまうと嵌ってしまうのです。 アップロード方法には、マイナンバーカードと免許証のアップロード方法が同様に記載。 最後の、アップロードデータの選択画面には、マイナンバーカード、免許証、住民票の選択肢が出ています。 私の操作のときには出てこなかった画面です。

よく読めば分かるではだめだと思います。 端折って読んだとしても嵌らないことだ大事だと思います。 そして、そういう指摘は、真摯に受け取るべきだと思います。 そうしなかった企業は初めてでした。

6月18日(月)

先週の中頃に日本年金機構からの郵便2通が続いて届きました。 最初は、年金支給の通知です。しかも、4〜5月分を合わせて、何故だか1ヶ月分です。 2ヶ月分のはずが1ヶ月分となった理由の説明がありません。先週末の金曜日に振込みすると書いてあります。 元々、失業保険の給付を受けると年金は0支給となります。 だから、不思議な通知でした。

次に届いたのは、年金額の変更でした。 当然の内容で、失業保険の給付を受けるので、支給額が0円になるとの通知でした。 しかし、直前に届いた1ヶ月分の説明はどこにも記載がありませんでした。

週が開けた今日、口座状況を調べると、金曜日に1ヶ月分のみの入金がありました。 あれこれ考えて、その理由は推測できていました。 失業保険の給付が遅れたので、遅れた時期の4月分のみ支給があった様です。

失業保険の給付が遅れた件は、5月の後半に結果が明確となったなのですが、まだ報告していませんでした。 まず、給付決定は、郵送遅れ等のために、約2周間が遅れました。 給付決定の遅れは、そのまま給付開始の遅れに繋がります。 さらに、順当に給付される事が決まるのに、5月22日まで掛かったのです。 それまでは、給付は7月頃からという状況でした。 その状況が4月の年金支給に繋がったようです。

失業保険の給付は、内容が決定すると給付期間は変わりません。 ただ、開始時期が遅れるとその分、終了も遅くなります。 手続きの遅れは不安を煽り、当時は不満タラタラでした。 しかし、結果のみを見ると、何となくラッキーな事に気づきました。

失業保険の給付開始が遅れた分、年金が1ヶ月分支給されたのです。 つまり、年金を合わせるとトータルの受給期間が伸びた。 言い換えると、今回の失業で受け取る金額の総額が増えたということになります。

気を揉んだ分の慰謝料的な側面もありますが。 結果オーライです。

6月17日(日)

長崎に帰郷を果たして、今は佐世保市に住んでいます。 長崎市には、私の姉と弟が住んでいます。 いろいろと片付けなどが少しは一段落したので、長崎に挨拶に行くことにしました。 片道、2時間程度なのですが、とりあえずは、礼儀を尽くすのが良いと考えました。

神奈川から帰省しても、いつも歓待してくれていた姉弟です。 今回も盛大に歓迎してくれました。 今後は、頻繁に会えるのですが。

私の姉は、敬虔なカトリック信者なのです。 田平教会の中田神父の話をすると喜んでくれたのですが。 ついでに、前から分からなかった事を明確に教えてくれました。 私の霊名であるイグナシオは、同名の聖人が二人いることは知っていました。 ただ、随分前ですが、調べても、その二人がどう違うのか分からなかったのです。 姉の話では、私の霊名はイグナシオ。 そして、もうひとりは、イグナチオ・デ・ロヨラだというのです。 頭から4文字目に注目してください。 改めて、帰宅した後に調べ直ししてみました。 すると、姉の情報も少し曖昧だということが分かりました。

随分前に調べた頃は、まだインターネットに情報が乗っていなかったのかもしれません。 現在調べてみると、ある程度の事は分かってきました。 しかし、難しいのは、出てくる情報は、イグナチオ・デ・ロヨラの記事ばかり。 もうひとりのイグナシオの情報が出てきません。 そこで、聖人の日の一覧を入念に調べてみました。 聖人の日とは、聖人が亡くなった日を記念する日です。 そうやって、もう一人の聖人の名前が見つかりました。 聖イグナチオ(アンチオケ)という守護聖人でした。

そして、姉の情報の曖昧さも見えてきました。 それは、イグナシオイグナチオの違いです。 ネットで検索してみると二人のイグナチオの記載に、どちらも使われていました。 そして、圧倒的にイグナチオが多いということ。 だから、4番目ので区別するのは不適切だったのです。

折角調べたので、ここに二人の聖人を紹介しておきます。 ネットで調べても、2人が並んでは出てこないのです。

まず、私の守護聖人のアンチオケの聖イグナチオからです。 時代は、西暦35年頃から107年まで活動された方。 イエス・キリストが実際に人として活動されていた頃に近い時代の方でした。 アンチオケとは、シリアの都市です。 そこで司教となり、聖職者として活動されていました。 そして、当時のローマ皇帝から迫害を受けて、処刑された方。 記録からは、詳細はよく分かりません。 ただ、ローマ教会が聖人と認めた方なので、その信心深さが相当なものであった事が分かります。 イグナチオ・デ・ロヨラと比較するとその意味がわかると思います。

次は、もうひとりのイグナチオの話です。 名前をイグナチオ・デ・ロヨラというのです。 こちらは、wikiにも掲載があるので、調べるとすぐ分かります。 時代は、西暦1491年頃から1556年までの期間。 一番の活動は、イエズス会の創設に関わった主要人物。 同じく加わっていたのは、フランシスコ・ザビエルと言えば、少し分かるかもしれない。 フランシスコ・ザビエルは、日本にカトリックをもたらした事で有名です。 つまり、イエズス会は、カトリックの布教に力を入れた男子修道会だったのです。 そして、イエズス会は、日本では有名過ぎる程に各教会に関わりを持つ修道会なのです。

洗礼を受けて、60年間以上も正しく理解していなかった事はお恥ずかしい話です。 しかし、真実を知るということは、とっても嬉しい限りです。

6月16日(土)

佐世保市の柚の木という地域は、私が今住んでいる近くです。 今日は、ゆのきメロンまつりの日でした。 メロンの産地である柚の木の農協が、今年のメロンの特売をする日でした。 いつも、義母がバスで買いに行っていたそうなのですが。 今日は、車で行くことになっていました。

市長挨拶 会場は、9時開場なのですが、8時半頃に着くと、車が長蛇の列。 会場に入れない車が道路沿いに何十台も並んでいます。 私は、少し細工してその列には並ばなかったのですが。 道路を利用する方に対して、とても迷惑なイベントだと感じました。

写真は、開会にあたって、朝長市長が挨拶しているシーンです。 初めて直接拝見しましたが、手短な挨拶に関心しました。 何せ、炎天下に数百人が並んで待っていました。 しかし、挨拶は短くても、長く待たされていて、あまり意味はありませんでしたが。

1時間近く待たされて、私たちの番が来ました。 しかし、慣れていないと買い方が分からない。 大体、大玉が3個で3,000円か3,600円で一箱。 2個から、小玉が6個というセットもありました。 よく分からないまま、大玉3個で3,600円の箱を買って帰りました。

帰宅する前には、お弁当を持って烏帽子岳に登ってみようということになっていました。 佐世保市を内陸部から見下ろす壁の様な山々の頂上です。 車で行けると言っていました。 しかし、いざ出発の段になると、なぜだか田平教会に行くことに変わっていました。 平戸島の旅になるとは露知らず。

田平教会 田平教会は、世界遺産になるので、早めに行こうということが動機だったらしいのですが。 調べてみると、殉教者視点ということで、世界遺産の対象からは、外されたようです。

田平教会に行って驚きのことが分かりました。 田平教会のこのレンガ造りの建物は、当時の中田藤吉神父が中心となって建てたものです。 この中田神父を霊名で付けて呼ぶと「イグナシオ中田藤吉神父」となります。 そして、私の霊名もイグナシオです。 そうなんです、神父も私も「イグナシオ中田」だったのです。

レンガ造りに綺麗なステンドグラスの立派な教会でした。 裏手にルルドも作ってありました。 写真が続くので、ここには掲載しません。トップページを御覧ください。

平戸大橋 田平教会を出発してから、最終目的地が知らされました。 平戸の生月島に行くというのです。 田平教会がある平戸口の手前の田平町も生まれて始めて訪れた街でした。 平戸も当然ながら初めてです。 平戸口から平戸大橋を渡ると平戸島です。

生月大橋 平戸島自体は、五島列島の半分近くもの大きさで、結構大きな島です。 平戸大橋は、その北部にあり、生月島も北部にあります。 つまり、平戸島の北部を東側から西側に通り抜けるルートで進みます。 平戸島から生月島に渡る橋は、生月大橋といいます。 平戸大橋が赤い橋で普通の色と感じるのですが。 生月大橋は、ご覧の通りに青い色をしています。 構造も違うのですが、新鮮に感じませんか。

大碆鼻からの眺め 生月島は、南北に長い島です。 その東側に大きめの道路が通っていて、最北端まで行けます。 最北端は、大碆鼻といいます。 漢字変換でも出てこない難しい漢字です。「大ばえ鼻」と読みます。 この方向は、壱岐対馬だろう。そして、右側が日本海で左側が東シナ海と考えていました。

帰って地図を開いてみました。 正面の大きな島は、壱岐島に思えるのですが。 残念ながら、的山大島という島です。 言うなれば、平戸列島の最北端の島。 壱岐島は、その左側に小さく朧気に見えている部分でした。 そして、右側の海は日本海でも間違いでは無いかもしれませんが。 これが玄界灘でした。

ここまででたっぷりと遊べたのですが、この地に来て閃きがありました。 というか、道中に考えていたことなのですが、念願の本土最西端を訪ねてみたい考えました。 若干の遠回りとなりますが、ほぼ道中にある観光スポットです。 と考えつつ、生月島の帰りは、西側の道を通ってみました。 開けている東側と違って、西側の道を走ると、生月島の構造が良く分かりました。 岩山です。海上に突き出た岩山で出来た島だったのです。

本土最西端は、神崎鼻というところです。 最西端というからには、夕日を見たい。そういうことで時間調整でした。 平戸島北部の中心部、山の上に川内峠という場所があります。 ここはまさに、Windows XPのディスクトップを飾った大草原です。 写真は多いので割愛しますが、ネットで見れますので、検索して見てください。

夕日に映える平戸大橋 まだ、夕日と呼ぶには早い時間でしたが、平戸大橋を本土側から眺めてみました。 相変わらず、海流が強い海峡です。 その海流の水面に太陽が銀色に反射していて、とても気持ちが良い風景を楽しみました。

神埼鼻の眺め 帰りは、来た道を戻るのですが。 神崎鼻へは、途中から西海岸に沿っての移動となります。 佐世保の九十九島の風景がこの辺りまで続いています。 違うのは、平戸島という大陸の様な大きな島が背景にあるところ。 神崎鼻も本土最西端なのですが。その先に平戸島が見えるので、少し迫力が削がれます。 なんとなく、夕日に近い最西端の写真が撮れました。

実際は、もう少し色々なところを見ました。 そして、説明した部分でも写真は割愛しました。 やっぱり、サイトが重くなるのが嫌だったので。 特に、生月島の西海岸と川内峠は、1枚の写真では説明出来ません。 是非、機会を作って訪れてみてください。(おわり)

6月15日(金)

MR線左石駅のみやこお食事処 偶には、外食で好きなものを食べてみたいとネットなどを使って調べていました。 そこで見つかったのは、MR線の左石駅にあるみやこお食事処という食堂でした。 MR線とは、松浦鉄道の事です。 佐世保駅から平戸口を通って、松浦、伊万里、有田と続いています。 左石駅は、私が住んでいる家から歩いて行けるところにあります。

ネットで調べると専用の駐車場の2台分がありました。 郵便局に用事が有ったので、ついでに寄ってみたのですが。 行きも帰りも車が止まっていました。 結構混んでいるのですね。仕方が無いので、車を置いて、歩いて行きました。

みやこカツ丼 ネットで調べると、このお店のお勧め食事は、チャンポン唐揚げ定食となっていました。 その他、カツ丼に中華餡も掛かっているという記事もありました。 カツ丼は好きなので、今日はチャレンジしようと思っていました。

店に着いてメニューを見ると、中華餡が乗ったものは、みやこカツ丼となっていました。 中華丼の名前がみやこ丼、それにカツが乗ってみやこカツ丼になるというものでした。 面白いのは、カツにとんかつソースが掛かっている点。 中華丼と同様な餡が麺に乗ったものは、皿うどんと言います。 そして、長崎では、皿うどんには、ウースターソースを掛けて食べます。 だから、ウースターソースなら分かるのですが。

中華丼の部分は、ボリュームたっぷりでした。 とんかつの部分は、中華餡に負けていると感じたのですが。 さらに、福神漬けは余分でした。私は、カレーでも福神漬けは頂きません。 知っていれば、付けないでと頼むはずでした。

店舗に飾った写真を見る限り、お勧めはカツライスかな。 やきめし単品もあるのですが、それにカツが乗っていました。 やきめしコンビカレーコンビもチャレンジして見たい。 やきめし、カレーに、50円でから揚げが付いてきます。

松浦鉄道は、国鉄から分離して私鉄になった線だとは有名かもしれません。 ネットでこの左石駅を調べるといろいろと分かってきました。 近くの佐々とか世知原は、元々炭鉱の町だったそうな。 近くの港となる相浦港まで、個人で引いた鉄道だったとか。 その支線として、佐世保まで伸びたとか。

左石駅は、昔は大野駅と呼んでいたらしいです。 大野は、町名でもあるのですが、この地域全体の名称でもあります。 そして、支線の柚木線への分岐駅でもあったというのです。 今は、鉄道からまったく離れている柚木まで線路が伸びていたというのです。 現状の地勢から想像もできません。

そうやって皆が利用していた私鉄だったのですが。 満州事変で燃料確保の観点から、国営化されたのが国鉄時代の始まり。 その後、国鉄の民営化から、私鉄に戻ったという経緯です。 珍しい黒字路線ということでも有名です。

帰宅の途上、ヤマト運輸から連絡が入りました。 ヤマト宅急便の転送手続きの書類が返送されてきたというのです。 ヤマトの手続きは、郵便局の転送がうまくいかないと手続きを終えない。 その郵便局の転送で弾かれたというのです。

早々に郵便局に連絡し、担当の厚木郵便局から折り返しの電話がありました。 原因は、私の稜山の名前のみ、転送依頼がされていないというのです。 稜山の名で転送依頼はされているが、対象者となっていないというのです。

局員の話では、全員転居のチェックがされていないというのです。 私自身、転居は繰り返しているので、そういうミスは絶対にないと思うのですが。 仕方が無いので、再度、稜山の名前のみ転送手続きをしました。

実際に、問題点を認識して手続きをして分かりました。 絶対にミスはしていません。 全員対象のチェック欄もありません。 申込者の内容を入力した後、対象者を入れる欄が続きます。 ここに、稜山の名と亮一の名を入れるのは、必然性があり、間違えるはずがあります。

5月後半にブログを書いていないので、報告していませんが、厚木郵便局は壊れています。 更にもっと前の話なのですがまずは、3月頃に発送した普通郵便が紛失しています。 そして、4月には、川崎市からの郵便に5日間も掛かるという配達遅延が2回も発生。 さらに、今回依頼した転送依頼は5月28日からと申請しているのですが。 5月20日過ぎに転送されてしまっていたのです。期日前転送です。 しかも、期日前で転送されたのは、稜山宛の郵便でした。 届けてしていないという稜山の名が期日前で転送されていたのです。 人が居なかったら、そのまま、また紛失となるところ。 その問題を連絡した時に、川崎からの郵便は、翌日配達と言っていました。 あり得ない事か続いていました。

厚木北郵便局ではありません。厚木郵便局です。 対象の地区に居る方は、気を付けてください。 特に、紛失なんていう信じがたいことが起きています。

6月14日(木)

先月の5日に永井隆博士の記事を報告しています。 そこに、永井隆博士記念館に宿泊した事があると記載しました。 知っている方は、アレッと思ったかもしれません。

今日、何気なく「永井学生センター」という名称が思い浮かびました。 ネットで調べると、既に廃館となっているとのことでした。 その名の通りに、カトリックの学生の為の施設だったのです。 永井隆博士記念館は、資料などの展示記念館で宿泊施設になったことは有りませんでした。

流石に50年近く前の出来事。何となく納得なのですが。 お恥ずかしい話でした。 該当ページにも補足しておきます。

6月12日(火)

ハローワークに行く日です。 雇用保険の受給が始まると、ほぼ1か月に一度、失業認定を受ける必要があります。 今日は、その失業を認定して頂く日なのでした。

厚木市で1回目の認定を受けたのですが、同様だと思って向かいました。 厚木市では、認定手続きの前に強制的に求職相談をしなさいと言われました。 認定の間隔に、2回の求職相談を受ける必要があります。 その次回分の中の1回を認定のついでに受けるという仕組みだったのです。

ところが、佐世保市のハローワークでは、その仕組みは無いというのです。 ある意味、相談2回の内に1回を自動的に実施するので、受給者にとっては便利な仕組みなのですが。 無いなら、無いなりに対応するしかありませんね。

そういう事とは関係は無いのですが、今回は相談のネタを持ってきていました。 求職活動をするのですから、採用条件として持っている資格を明確にする必要があります。 ハローワークに資格をちゃんと登録していなかったので、登録しようと準備してきていました。

実際に相談してみると、意外な回答が続きました。 まずは、登録出来る資格は、3つのみだというのです。 自慢する程ではありませんが、多種の資格を持っていても、求職シートから全てを見ることはできないというのです。 ちょっと、準備して来てガッカリという次第でした。 取り敢えずは、担当の方が有効という資格を登録して、ハローワークを後にしました。

午後から、家内の提案で白岳自然公園に行くことになりました。 出発後の突然の提案だったので、まったく下調べ無しでの移動開始。 車のナビに似た名前で登録されていたので、道程はすぐ分かりました。 家内が間違った情報から、紫陽花が咲いているというので向かったのですが。 実際の紫陽花は、烏帽子岳だった様です。

白岳自然公園 佐世保市内から白岳自然公園に向かうルートを少し説明します。 まずは、自動車道で佐々まで、そこから山越えして江迎の近くまで。 江迎は、江迎湾という漁港になるので、海岸近くなのですが、そこからさらに山道を登山。 充分に登った後、県道から離れてさらに山道を登りあがったところでした。 後から考えると、既に平戸の近くまで来ている。 途中は、本土最西端の神崎鼻の近くも通っている。 もっと早く見たいところの近くを通ってのドライブでした。

そうやって辿り着いたのですが、あるのは池と山だけでした。 公園は池の周りに園地とキャンプ場があるのですが。 未だ季節では無いせいなのか、平日のせいなのか閑散としていました。 白岩岳は、標高373mの山。写真の通りに岩肌を大きく見せています。 名前の由来が分かり易い山でした。 平地が暑い中、涼しい公園でした。夏の避暑には良いのかもしれません。

因みに、Googleマップで見ると北松県立公園白岳キャンプ場とだけ記載があります。 北松県立公園とは、この地域に点在する自然公園にまとめて付いた名称です。 ネットで検索すると風の高原に紹介がありました。 公園にあるギャラリー&カフェのサイトが紹介している様子です。 残念ながら、当日は休業日でした。

道中で、佐々から中里まで西日本自動車道を通ります。 この区間は無料です。佐々から先は延びていないのか。 また、長崎自動車道から来る入口も、入り方と無料区間で疑問が多い路線です。 不思議に思って、帰宅後に少し調べてみました。

西日本自動車道路は、福岡の都市高速環状線を起点とします。 唐津、伊万里、松浦、佐々、佐世保を通って武雄付近で長崎自動車道に接続。 九州自動車道、長崎自動車道と合わせて、巨大な環状線の計画だったのです。 しかし、残念な事に、武雄〜佐々間を除いて、ぶつ切り状態。 福岡、唐津、伊万里、松浦の市街部に少しずつ道路が整備されているだけ。 雄大でシッカリとした計画が公表されているのですが、私が生きている間に完成するだろうか。

幾つか分かったことを記録しておきます。 佐世保駅付近を通り過ぎる、佐世保中央ICから佐々ICまでが無料区間と言われています。 現在、片側の車線を対向通行しているので、無料だというのです。 将来、車線分離が完成したら、有料に切り替えると明言されています。 そして、対向通行の区間は、佐世保中央ICから佐々ICまでではないのです。 佐世保みなとICから対向通行なのです。 無料区間は、佐世保みなとICからではないのか?

武雄を過ぎてから、大塔IC、佐世保みなとIC、佐世保中央IC、相浦中里ICと続きます。 このどの区間が無料かというと、今一つはっきりしませんでした。 その理由は、佐世保みなとICの構造でした。 このインターチェンジは、大塔ICから来て降りる、または、大塔ICに向かって乗ることしかできないのです。

車線の構造からは、佐世保みなとICから佐々ICまでが無料区間なのですが。 佐世保中央ICから佐世保みなとICの区間のみを走ることができない。 佐世保みなとICから佐々の方向にも行けないのです。

正しく表現すると佐々ICから佐世保中央ICまで、および佐世保みなとICから佐々ICまで。 これが、無料区間の正しい表現となります。 但し、佐世保みなとICから佐々方面へは乗れないので条件が付きます。 佐世保みなとICから佐世保中央ICまでは、佐世保みなとICまでの有料区間を走った方のみが無料ということです。 やっと理解できました。

6月11日(月)

佐世保に来て、体重が気になっていました。 義母がいつも多目の食事を用意してくれます。 食事が増えると、当然ながら体重が増えるというのは、原理に叶っています。

いつもの様に、朝、水を飲む前に下着姿で測定してみました。 結果は驚き。体重は、成人後の測定記録で最低を示してしました。 転居直前の疲労の影響は、若干気になるところですが。

合わせて、体脂肪は、ほぼ最低の数値。 そして、体年齢は、52歳。 10歳も若い数値が出ました。

まだまだ経過観察は必要ですが。 なんとなく楽しくなる結果でした。

6月10日(日)

やっと、荷物の整理も一つの区切れ目。 1/10程度かもしれませんが、さて、次は何からという感じです。

そこで、マスター鍵を繋いだリングと大事な鍵が見つかりません。 大事な鍵は、リングが見つかってから合わせようと考えていたものでした。 大量の荷物ではあるのですが、それなりの場所に保管していると思っていたのですが。

家内が、ハサミを開いて置いておくと見つかると言いました。 そうして、引き続き探したのですが。 やっと見つかりました。

家内が効果が有ったというのですが。あまり関係は無いですよね。

6月9日(土)

展海峰から九十九島を展望 佐世保に着いてから一週間が経ちました。 ちょっと息抜きにと観光に行くことにしました。 最初に行ったのは、展海峰です。 九十九島の特に島が多い南側を見下ろす展望台です。

Wikiなどでも、その名前に由来についての説明は見つかりませんでした。 しかし、その風景とマッチした名前は、それだけで魅力を感じてしまいます。 そして、実際に見える風景は、相当に見応えがあります。

展海峰から見るパールクイーン号 眺めている間に、パールクイーン号が近付いてきました。 写真は、そのタイミングの写真を少し望遠にして撮影したものです。 始めてパールクイーン号に会ったのは、2013年5月19日の九十九島クルージングでした。 画像一覧の2013年2014年の画像のその時の画像に掲載しています。

展海峰は、佐世保の中心部である佐世保港の西側に伸びる俵ヶ浦半島にあります。 その半島の突端には、海水浴場として有名な白浜海水浴場があります。 今日は、そこまで足を延ばしてから戻ることにしました。

弓張岳から佐世保市中心部を望む 俵ヶ浦半島には、相浦を通って行ったのですが。 もう一つのルートとして、佐世保重工の造船所から佐世保市の市街地を通るルートがあります。 そのルートで帰宅する途中、ついでなので弓張岳に登ってみようという話になりました。 佐世保市の市街地は、北を烏帽子岳、西側を弓張岳に囲まれています。 弓張岳は、直前に訪れた展海峰と九十九島、それから佐世保市の市街地を望むことができます。 写真は、その市街地と左側の弓張岳を望んだ風景です。

佐世保に移り住んで、かなり有名なところを早々に見ることができました。 しかし、長崎という地域は、観光資源は無限といっても過言ではありません。 ざっくりと佐世保付近を紹介します。 平戸、日本本土最西端の神崎鼻、西彼半島の大島、針尾の電波塔、伊万里に有田。 長崎市も見ていないところは沢山あります。

京都で見れなかった事が悔やまれるのですが。 帰郷先では、シッカリと見てみたいと考えています。 あまりゆっくりとは出来る訳ではありませんが。 可能な限り、紹介していきたいと思います。

6月8日(金)

孫の誕生日。遠く離れて暮らすことになったのですが。 お祝いは電話でいつでも話ができます。

こちらでは、蜂の家のジャンボシュークリームでお祝いでした。 450円もするので、普通のケーキよりちょっと豪華かもしれません。 孫よ、おめでとう。

6月7日(木)

長崎に戻った理由の一つは、義理の両親の家の片付けです。 長年溜まった不要物が山の様にあります。 家内が早々に整理していたものを今日出したいと言い出しました。

厚木市では、燃えるゴミや燃えないゴミは、無償で処分してもらえます。 所が、佐世保市では、袋の大きさで違うのですが、袋ごとに費用が掛かります。 大きなもので200円程度なのですが、市民からすると厚木よりも住み難い所と言えます。

しかし、逆な面も分かりました。 厚木市では、粗大ごみは、1個当たり300円の費用が徴収されます。 所が、佐世保市では、クリーンセンターに持ち込むと、燃えるゴミや燃えないゴミと一緒に処分できるのです。 全部合わせて、50kgで450円。越えると10kg毎に90円です。 これを活用すると絶対に佐世保市がお得だと思います。

その他、例えば資源ごみの布ごみの取り扱いが、厚木市と大きく違っていました。 厚木市では、タオル、シーツとか毛布は資源ごみでした。 所が、佐世保市では、これらはNG。どうも、古着業者が貰えるもののみに限定しているらしいのです。 一応、廃棄物は詳しいのですが。そういうやり方の違いは、中々難しいと実感した次第でした。

6月6日(水)

予定通りにOCNのネット工事が始まりました。 光回線が無い家に光ケーブルを敷設する工事からでした。 NTTの本体に勤務していたので、関連会社の方々だと思いつつ、工事を見守りました。

一番、違和感を覚えてのは、高所作業車が来ていない。 厚木では、自分の家のみでなく、電柱工事は全て高所作業車を使っていました。 長崎では、高所作業車は使わずに、梯子で電柱に登る。 その後は、電柱との間に身体を支えるロープを掛ける。 そういう作業で工事は進みました。

厚木で使用していたルータは返却したので、新しいルータを設置します。 説明書類には、ソフトを使用した解説書は付いていました。 しかし、厚木で使用していたルータは詳細のマニュアルが付いていました。 今回は、ソフトを使用した設定方法を説明した、簡単なマニュアルしかありません。

工事担当者に、自分で設定すると説明すると、IPアドレスとかログインIDなどを教えてくれました。 そうやって、ルータの引き渡しを受けたのですが。

ネット接続は、直接にルータの設定画面を開いてから設定するのは当然と思っていました。 IPアドレスとかログインIDを入力すると、ログイン前の設定動作が開始してしまいました。 一番困ったのが、「接続先」の入力を求められた時でした。 設定に使用するデータは全て記録しています。 しかし、どこにも接続先という用語は記録されていません。 用語の種類をよく検討して、若しかしたらという事が推測できました。 NTTから届いた資料には、「顧客ID」という情報がありました。 これだと思って入力すると、初期設定が完了し、ルータの設定画面が開きました。 確かに、素人は分からないので、どちらでも構わないという思想はあるかもしれません。 しかし、玄人に難解なものは頂けません。

パソコンの設定は、元のルータに合わせて設定されています。 元のルータと同じ設定をすれば、ネットワーク環境は元とまったく同じです。 早々に、厚木と同じ環境で通信ができる様になりました。 嗚呼、長かった。ネットワークから切り離された期間が(疲)。

6月5日(火)

ネットを開通する日だと思って、OCNの工事担当者の到着を待った日でした。 時間が来ても来ないので、不思議に思ったのですが。 よく考えると、少し余裕を取ろうと、当初予定を1日伸ばしたのでした。 まだ、調子が外れている!

もう一つ、今日できたことがあります。大きなステレオは無いのですが。 厚木で転居直前で使っていた、パソコン用の小さなスピーカーです。 これをパソコンに取り付けて、音楽が鳴り始めました。

就寝時の静かな音楽。起床時の明るい音楽。 それに、普段流れるBGM。音楽がある生活が戻りました。

6月4日(月)

長崎に着いての最初の平日。 まずは、市役所に転入手続きをしに行きました。 受付が終わって、15〜20分は時間が掛かると言われたのですが。 それから1時間近く待たされて、やっと手続きが終わりました。 どう見ても窓口は空いていたのですが。

待っている間に国民健康保険と年金の手続きを確認しました。 住民手続きの窓口でどちらの手続きも不要と言われたのですが。 厚木市役所で年金は転居先の手続きと言われていたのです。

厚木市と同様に国保年金課だと思って、国保の話を始めたのですが。 「ここは、年金の窓口です」と叱られてしまいました。 念のために続きを確認して頂けたのですが、やっぱり手続きは不要とのことでした。

その後、国保の窓口に行って、郵送費は勿体ないので、持って帰りたいという話をしました。 しかし、手続きに1日は掛かるので郵送するとの説明。 どちらも手続きは、まったく不要でした。

食事を摂って、午後はハローワークに行きました。 当面の生活費は、失業保険が頼りです。 市役所と違って、全国共通の組織。 手続きは、簡単に終わりました。

まだまだ、いろいろな手続きは残っていますが。 とりあえず、大至急の手続きは終わった、と思ったのですが。 自動車の免許証の手続きを忘れてしまいました。 身分証明書として持ち歩くので、こちらも結構重要でした。

6月3日(日)

大移動の直後でしたが、今日は家内の誕生日でした。 お婆ちゃんが家内の為に、お昼を外食しようと誘ってくれました。

黒川紀章デザインの山暖簾 佐世保の世知原という地域に有る天空の宿 山暖簾という所です。 天空の宿とよく付けたものですが、本当に山の中の建物です。 国見山を頂点に大きな尾根が2つ平行に西側に伸びています。 その南側の尾根の中腹にあります。 反対側は、殆ど民家が無い青々とした山肌が鮮やかに映っていました。

この建物は、黒川紀章が設計した事でも有名らしいです。 そういう意味で撮影した写真なのですが。 内外の壁や柱がむき出しのコンクリート作りです。 何となく、当時は流行ったのかなと感じはするのですが。 今様では無いなと思うのは、私だけでしょうか。

この山暖簾が有る道は、世知原町から国見トンネルを結ぶ県道にあります。 最近、国見トンネルに向ける大きなトンネルが出来て、交通の便が良くなったと聞きました。 地図を見ると、まだ旧道がありましたので、試しに通って見ることにしました。

如何に旧道が過酷な道だということを実感するのですが。 それ以上に驚きの光景を目の当たりにしました。 頂上を越えて、間もなく国見トンネルの入り口に差し掛かるというタイミングでした。 通行止めの柵が道を塞いでいるのです。

スイレンの花が咲く池 驚きというより、呆れます。 通行止めは、落石注意の通行止めだったのだすが。 片方からの登坂は通行止めで禁止している。 しかし、逆方向からは、禁止していないのです。 幸いにも、柵の移動が出来ましたので、無事脱出できましたが。

帰りは、もう一度新しいトンネルを通って世知原の坂を下りて帰路に着きました。 途中で、写真撮影している人が居る池を見つけました。 なんと、白いスイレンが群生している池でした。 名も無い池でしたが、綺麗な風景を楽しめました。

6月2日(土)

フェリーで迎えた朝 フェリーは、朝の6時に門司港に着きます。 5時頃から皆が起き出して、ざわざわしてきました。 朝起きは辛くは無いのですが、何時もより少し早めの起床です。 外では、朝日が甲板を照らしていました。

阪九フェリー ひびき 昨夜、乗った後にフェリーの外観を撮っていない事に気付きました。 降りてから、早々に撮影。 私の車が乗船したのは、もっと後ろの船体の中程でした。 写真に写っているのは、先頭部分の大型トラック用の乗船口でした。 同乗者の家内は、写真の右端の乗船桟橋から乗船しました。

残りの道程は、九州自動車道から長崎道です。 神奈川から長崎に車で移動するのは、調べると約6年振りです。 何時もなら、運転に飽きている頃なのですが。 今回は、船でじっくりと睡眠を取った後です。 こんなに楽な区間だとは思ったことが有りませんでした。

朝7時頃に出発したので、目的地の佐世保に着いたのは10時前。 しかし、日差しが強くよく晴れた日でした。 時間を掛けての荷下ろしが続きました。 流石に家を畳む時に残ったものの全てを乗せたので、荷物は多量でした。

夕方に、家内が近くのお店などを案内してくれました。 結婚した頃は、何もない所だと思っていたのですが。 ユニクロを始めに、大型スーパーなどが並んでいました。

6月1日(金)

今年2018年の上半期の最後の月、そして第1四半期の最後の月となる6月が始まりました。 今月は、長崎に帰郷する月であり、今日はその移動の途中です。 先月末は、片付けなどの為に地獄の日々の連続。その地獄から解放されたのですが。 流石に1,000km以上離れた地に向かう途中なので、その解放感は意識すらできません。

旅は、昨日から始まるのですが。 今月の初日である今日は、橋本市のビジネスホテルのルートインハシモトで目覚めるところから始まります。 朝食は、和食から洋食の何でも有りのバイキング料理でした。 なるべく多種の食材をと、欲張った食事で満腹でした。勿論、何時もの通りにパン食の洋食でした。

昨夜から、ホテルのWiFi接続でネットは不自由有りません。 目的地の高野山を調べた後、今夜乗る予定のフェリーを調査。 道程が大体決まって、予定が見えてきました。 そして、家内と二人が隣り合って乗れないと困りますので、朝の内にフェリーの予約をしました。 予約する事によって相当に安くなることは、後から知るのですが。

高野山 大門 泊まった橋本市は、高野山の入口の町です。 道中は、かなりの山道ですが、スムーズに着くことができました。 そして、高野山の入口にある大きな門、大門が最初です。 丁度、峠の所に大きな門があり、そこから下って高野山の街並みといった場所でした。

高野山 根本大塔 高野山は、見どころを大別すると金剛峯寺奥の院の二つ。 まずは、大門を下った辺りに金剛峯寺を中心としたお堂などが立ち並んでいます。 その中で、一番艶やかた感じたのが、左写真の根本大塔です。

この部分は、壇上伽藍といいます。 中門から入り、根本大塔の他、金堂、不動堂などの建物が並んでいます。 一角には、三鈷の松と呼ばれる松の木もあります。 弘法大師が中国での修行を終えて、帰国後に役立つ地域を探するのに三鈷杵を投げた。 その三鈷杵が高野山のこの松に掛かったので、この地に道場を開いた。 そういう謂れがある松なのですが、葉が3本の松だというのです。 3本の松を財布に入れておくとお金が溜まるとか。 皆と同様に探しましたが、見つかりませんでした。

徳川家霊台 根本大塔の右手には、金剛峯寺があります。 元々は、高野山全体を金剛峯寺と呼んでいたらしいのですが、今はこの部分を指すとか。 金剛峯寺を見て、左手奥に暫く歩いた場所にあるのが、徳川家霊台です。 写真は、徳川家康が眠る墓です。秀忠と二人のお墓がありました。 ここまで来て分かりました。 高野山全体を歩いて回ると、フェリーに間に合わないことが。 そこで、一気に奥の院に進むことにしました。

弘法大師御廟 檀上伽藍と金剛峯寺を中心とした部分からかなり離れて奥にあるのが奥の院です。 その中心は、弘法大師が眠る弘法大師御廟です。 参道の入口のある駐車場まで移動して参道を登り始まました。 最初の驚きは、ロケットの形をしたお墓です。 新明和工業という会社が設置したお墓です。 でも、本当の驚きは、日産、ヤクルトといった有名企業のお墓でした。 そういう仕組みを始めて知りました。

その参道の奥にあるのが弘法大師霊廟なのですが。 入口に「写真撮影禁止」と書いてシーンの写真は、なんか面白いと思いませんか。

参道を歩くと面白い。最初に徳川家康のお墓があったのですが。 この参道には、織田信長豊臣秀吉のお墓もあります。 豊臣秀吉のお墓は、あまり大きくも無いのですが。 織田信長のお墓は、何か貧相な感じを受けました。 そうか、高野山に攻め入ろうとしていた織田信長のお墓があること自体が不思議な事なのだ。 詳細は知りませんが。そうやって、沢山の写真を撮りましだか、余りにも沢山なので、この辺りにしておきます。

フェリーは大阪の泉大津を出て、翌朝に門司港に着きます。 高野山から泉大津までは、車のナビの調子があまりよくありませんでした。 幾つかの要因があります。一つは、ナビのデータが古い。 それに、この ルートは、碁盤の目を斜めに横切る様なルート。 選択肢も多過ぎたようです。 途中から、スマホを使ったGoogleマップと併用して向かいました。

明石海峡通過 この長距離フェリーに乗るのは大学の頃からなので、約40年振りです。 近距離で車の利用でも、数十年振りですが、車での長距離は初めてでした。 予約していたので、手続きはスムーズだったのですが。 定価を見てビックリ。数割引きの価格でした。ラッキー。

以前は、ごろ寝の広い二等客室しか無かったのですが。 今は、JRの寝台車と同様な上下ベッドが1区画というベッドが一般的。 快適な旅となりました。

瀬戸内に沈む太陽 夕食を頂いていると、最初の明石海峡大橋の下を潜りました。 朝食に続いてバイキング形式の食事でした。 しかし、こちらは一品ずつがなんぼの世界。 取り過ぎて、一人1500円程度の豪華な食事となってしまいました(笑)。

食事の後、甲板に出ると綺麗な夕日です。 実は、出港直後から何度となく甲板に出ています。 どんどん変わっていく景色に目を見張りました。

潤雅 丁度、夕食の時間に船内ミニライブをやっていました。 自己紹介の部分は、聞けなかったのですが。 「シンガーラヴソングライター 潤雅」と書いてあります。 ネットで調べるとゆなさんと言うらしいのですが。 なかなかな歌声を披露してくれました。

瀬戸大橋通過 丁度、夜の9時頃でした。2つ目ですので瀬戸大橋だと思います。 通過した後、出たばかりの月を背景に綺麗な風景を見ることができました。 残念ながら、手持ちだとぶれていて、拡大には耐えれませんでしたが。 今日、最後の写真です。

そうやって随分久しぶりに、そして、船の2段ベットは初めての夜を過ごしました。 快適な船旅でした。皆さんにもお勧めしたい。

この6月のブログを書き始めたのは、6月の中旬に入っていました。 皆、中田はどうしているかと思ってくれているかな? 5月のブログも完成していませんが。 先に、6月分の掲載を開始することにしました。




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